My徒然日記帳

スナップショットの感覚で世の中の事象をとらえ、浮かんだ考えを気ままに綴っていきます。

伝説のクライマー マルコ・パンターニ①薬物疑惑の真相

自転車ロードレース界における最強クライマーといえば、私はパンターニを挙げたいと思います。あの難所で有名な峠、ラルプ・デュエズにおける最速タイムの保持者であり(ランス・アームストロングでさえ記録を破れなかった)、クライマーでありながらダブルツール(同年にジロデイタリアとツールドフランスを両方制すること)を達成するという偉業を成し遂げたイタリア人チャンピオンです。勝負所の山岳ステージで彼が猛然とスパートをかけると、あっという間にエース集団がバラバラになり、更に何度も繰り返される波状アタックに対して付いていける者は誰もいないという、その爆発的とも言える速さは正に最強でした。しかし、ダブルツールを達成した翌年の1999年のジロにおける失格は、彼の人生を完全に狂わせてしまうほどの出来事でした。それ以降、パンターニは何度かレースに復帰したものの、最後は麻薬中毒で廃人同然になり、2004年に亡くなりました。パンターニを巡るドーピング疑惑は、世界アンチドーピング機構やイタリア警察までも巻き込んで、詐欺罪の裁定という結末になりましたが、その一連の事件は謎に包まれています。彼を死に追いやたものは何だったのか。

ラルプ・デュエズで歴代最速タイムを記録したパンターニ

スポーツ界におけるドーピング問題は、過去に幾度となく繰り返されてきました。1988年のソウルオリンピックで人類で初めて9秒8の壁を切ったスプリンター、ベン・ジョンソンのドーピングによる金メダル剥奪が世界を震撼させたのは記憶に新しいと思います。スポーツにおける禁止物質の規定は1960年のローマオリンピックにおいて自転車選手が薬物で命を落としたことに端を発します。国や地域を越えて全体的な動きとなったのは1999年に世界アンチ・ドーピング機構(WADA)が設立されてからです。パンターニのジロ失格は、まさにその年の出来事でした。

1999年ジロデイタリア。好調を維持し独走を続けるパンターニ

前年にダブルツールを達成したパンターニの人気は鰻登りで、1999年のジロデイタリアでも序盤から好調を続けていました。2位のIゴッティに大差をつけ、パンターニの総合優勝は誰の目から見ても明らかでした。イタリア人にとってジロデイタリアで連勝することは、この上無い名誉だと言われます。ところが最終日の前日の夜、勝利を確信していたパンターニを衝撃が襲います。血中酸素濃度を表すヘマトクリット値の検査の結果、上限規定の50%をわずかにオーバーしていたという健康上の理由でジロ運営側より失格処分を言い渡されたのです。パンターニは怒りのあまりホテルのガラス窓を拳で叩き割ったと言います。それほどまでに彼が失ったジロ連覇というのはかけがえのないものだったのでしょう。しかし、健康上の理由で優勝を剥奪されるというのは一体どういうことでしょうか。

1999年ジロデイタリアにおけるパンターニの失格処分で自転車レース界に激震が襲った。

実は前年のツールドフランスで、優勝候補のリシャール・ヴィランクを擁するフランスの名門チーム、フェスティナが組織的なドーピングをやっていた事が発覚し、チーム全員が失格処分となっていました。EPOという血中酸素濃度を増加させる薬剤が摘発され、一大スキャンダルとなっていたのです。実は当時はまだEPOを検出する技術が無く、レースの運営側は血中酸素濃度を測ることで、EPO使用疑惑のある選手を摘発していたわけです。その年にツールで総合優勝したパンターニやライバルのウルリッヒは当然ながら血液検査をクリアしていました。それが翌年、突然パンターニに降りかかったのです。表向きは健康上の理由ですが、つまりEPO使用の嫌疑をかけられたわけです。でも、これには不可解な点があります。ヘマトクリット値の上限値は公開されており、各チームは当然それを超えない様に事前にチェックをしていました。では何故パンターニは失格になったのでしょう?

1997年ツールドフランスの勝者。左:ヴィランク 中央:ウルリッヒ 右:パンターニ

これは後年分かった事ですが、最終日までの血液検査器は上限値が甘く調整されていたらしく、何故か最終日の前日だけ、突然厳しく再調整をしたというのです。すなわちアンチドーピング機構側はパンターニEPO使用を知りながら、散々泳がせた挙句に、わざと優勝目前のところで見せしめのために失格処分にしたという疑惑があるのです。これは状況から見て恐らく間違い無いでしょう。そしてEPOの検出が可能となって以降に分かった事ですが、過去の血液サンプルを調べ直した結果、EPOを使用していたのはパンターニだけでなく、ジロで繰り上げ優勝したゴッティやウルリッヒを含め、当時のほとんどのエースがEPOを使用していたことが判明したのです。つまりEPOが禁止物質とされていなかった事から、ほとんどのエースがヘマトクリット値をEPOで調整していたわけです。アンチドーピング機構は、クライマーのパンターニが元々ヘマトクリット値が高く、ギリギリの値だった事を利用して罠を仕掛けたのではないかと取れるのです。それに対して、パンターニEPOの使用を否定し続けました。そして、遂にイタリア警察が乗り出し、詐欺罪としてパンターニを告発するに至ったのです。国家を敵に回してしまったパンターニは度重なる捜査や尋問で精神的にも肉体的にも追い詰められ、次第に精神不安定に陥ります。検察側は更に輪をかけるように何年も前に遡ってパンターニの血液を調べ上げ、告発以前からEPOの使用を続けていると主張しました。その何年にも及ぶ裁判はパンターニをボロボロにした挙句、スポーツ詐欺行為という裁定で幕を下ろしました。これは偉大なるチャンピオンのパンターニにとって耐えられない屈辱でした。彼は、遂に麻薬にまで手を出してしまったのです。

2003年、亡くなる前年のパンターニ。精神的に追い詰められ、もはや活躍の場は望めなかった。

実はあのEメルクスもドーピング事件を起こしたうちの一人でした。Eメルクスはドーピングが発覚した時に、涙ながらに懺悔し許しを乞いて罪を償ったので、今では彼のことを悪者呼ばわりする人はいません。しかしパンターニは逆に一切の関与を否定したために、国家までも敵に回し、悲劇的な結末を迎えてしまったのです。パンターニは死ぬ直前にEPOの使用を周囲に漏らしていたと言います。当時ほとんどのエース達がEPOを服用していた状況下では、使用しないことはすなわち敗北を意味したんだと語ったのです。繰り返しますが、1999年のジロ失格の理由は健康上の理由であり、ドーピングによる失格ではありません。だからジロ運営側はEPO摂取が明らかになったゴッティを未だに優勝取り消し処分にしていません。ドーピングが明らかになって永久追放処分になったランスアームストロングとは違うのです。日本の多くのメディアはそういう事情を知らず、パンターニのことをこぞって悪く書きました。恐らくイタリア人のパンターニのファンの多くがこの真相を知っており、それが故にパンターニは国家権力によって殺されたのだと訴えているのでしょう。私はパンターニEPO摂取を批判する気になれません。そして、この出来事の本当の意味を少しでも多くの人に知ってもらいたいというのが私の思いです。

パンターニの葬儀に参列する選手達。ジロ優勝のクネゴの姿も見える。