My徒然日記帳

スナップショットの感覚で世の中の事象をとらえ、浮かんだ考えを気ままに綴っていきます。

伝説のクライマー マルコ・パンターニ③1998年Jウルリッヒとの死闘

1998年。Bianchiは久々の記念モデル『PANTANI GIRO 101』と『TOUR DE FRANCE  REPLICA』を立て続けに発売しました。あのファウスト・コッピ以来、46年ぶりにパンターニがダブルツールという名誉を名門Bianchiにもたらしたからです。ダブルツールというのは、ジロデイタリアとツールドフランスという過酷なレースを同じ年に制覇することを言います。世界にはグランツールと呼ばれる約2週間の期間をかけて総合タイムを争う自転車レースが有り、それがイタリアのジロデイタリア(5月)、フランスのツールドフランス(7月)、スペインのヴェルタエスパーニャ(9月)です。参加するプロ選手達は、この長丁場のレースのために、かなり早い段階から準備を始め、ピークをグランツールに合わせて調整をします。なので、このうちの2つのツールを同年に制覇するというのは至難の業で、Fコッピ、Eメルクス、Bイノー、Mインデュライン、Sロッシュ、Jアンクティルなど、片手で数えるほどしか達成した選手はいません。それをクライマーであるパンターニが達成したというのは、まさに奇跡的な出来事でした。何故ならクライマーは山岳ステージで強さを発揮しますが、平地を不得意とする選手が多く、TTで大きく差を付けられ、その差をひっくり返すのが困難だからです。ツール5連覇のMインデュライン以降、TTが速く登りも強いオールラウンダーといわれるタイプの選手でなければ、もはやグランツールは勝てないだろうと言われていました。

雨の第15ステージで、ツール総合優勝をほぼ手中にしたパンターニ

1998年のジロデイタリアでパンターニが総合優勝を果たし、メルカトーネUNOチームはツールドフランスへの参戦権を得ていました。しかしエースのパンターニは好調とは言えずスタート時点で181位と出遅れ、優勝候補とは見られていませんでした。対して前年の覇者、チーム・テレコムのヤン・ウルリッヒは第7ステージのTTで平均速度46Km/hという速さを見せてライバル全員を引き離すことに成功。総合タイムでライバルに1分以上の差を付けてトップに立っていました。パンターニが動いたのは第10ステージ。区間優勝を狙うと見せかけ、先頭を行くカジノのマッシを追ってエース集団を飛び出し、総合順位を11位へとジャンプアップさせます。続く第11ステージでは圧倒的な速さを見せ、ウルリッヒを引き離すことに成功しステージ優勝。総合でも3位につけます。しかし、この時点での総合タイム差はまだ3分01秒。登りに強いウルリッヒに追いつくことは容易ではないと見られていました。

ピレネーの第11ステージでパンターニがステージ優勝。総合でも3位に。

そして戦いの場はアルプスに移り、運命の第15ステージを迎えます。天候は雨。2つのカテゴリー超級峠を越えて、最後の登りゴールのドゥザルプまでのコースで、パンターニは早くも一つ目の峠でアタックを仕掛けます。ウルリッヒは峠の下りで追いつく計算で、パンターニをあえて追わず、自分のペースを守っていました。ところがガリビエ峠の登り口に差し掛かったところで、まさかのパンクに見舞われます。先行するパンターニに焦ったウルリッヒガリビエ峠の頂上で雨具を着用せずに下りに入りました。総合2位のBジュリクは走りながら雨具を着たためにコースアウト。余裕のあるパンターニは自転車を一度停めて、雨具を着用していました。この差が運命を分けます。アルプス山頂の峠は気温4℃と冷え込んでおり、ウルリッヒは完全に体を冷やしてしまい不調に陥ります。最後の登りのドゥザルプでは、アシストに引いてもらわないと走るのもままならないほどに衰弱していました。ここからパンターニの反撃が始まります。パンターニは雨の中を渾身のダンシングで疾走し、タイム差をひっくり返すどころか、なんと総合タイムでウルリッヒに5分56秒もの大差を付けてステージ優勝し、マイヨジョーヌを手に入れたのです。早いタイミングで仕掛けたパンターニの読みが見事に的中したのでした。

第15ステージでパンターニは奇跡の逆転を起こす。彼の読みは的中した。

総合順位を4位まで落としてしまったウルリッヒでしたが、翌日の第16ステージは完全に調子を取り戻し、反撃体勢に入ります。ビハインドを背負ったウルリッヒはステージ序盤から逃げを仕掛け、それをパンターニが追うという展開です。この二人の走りについて行ける選手は誰も居なくなり、ウルリッヒパンターニの一騎打ちになりました。パンターニは一歩も引けを取らず、最後のゴールではウルリッヒとのスプリント勝負までやって見せました。

第16ステージ。逃げるウルリッヒにぴったりと張り付き、一歩も引かないパンターニ

結局両者の差は縮まることは無く、勝負は最終日の前日のTTに持ち越されます。ここでパンターニが総合のタイム差を守り切れば総合優勝が決まります。ウルリッヒはトップタイムをたたき出しますが、パンターニはクライマーでありながらなんと3位という速さを見せ、3分の余裕を残して見事ウルリッヒを退けることに成功したのです。何故クライマーのパンターニがここまで好タイムを出すことができたのか。クライマーは山岳で攻勢を仕掛けることでTTに強い選手の体力を奪い、有利に戦う事が出来るとは言いますが、やはり黄色ジャージを着たときの精神的的な強さがパンターニのミラクルな走りを産みだしたのではないかと思います。1998年ツールドフランスの歴史的な逆転劇はこうして幕を下ろしました。この結果を一体誰が予測したでしょうか。

ウルリッヒは第20ステージのTTでパンターニを逆転することが出来なかった。

パンターニの誰も太刀打ちできない登りの圧倒的な強さの源は一体何でしょうか?私は二度に及ぶ過去の大事故から立ち直った精神力にあると思います。一度目はコースに飛び出した犬(猫という説もある)を避けようとして転倒、二度目はコースを逆走してきた車と激突して再起不能と言われるほどの重傷を負ったのですが、その度にパンターニは不死鳥のごとくレースに戻ってきました。ラルプ・デュエズでの歴代最速タイムによるステージ優勝、ツールドフランスでの3位入賞、そしてジロとツールを同年に制するというダブルツールの達成によって世界の頂点に立ったのです。パンターニは伝説のクライマーとして、多くの人々に語り継がれていくでしょう。

再起不能と言われる重傷を負ったパンターニ。彼は苦難を乗り越えレース界に戻ってきた。