My徒然日記帳

スナップショットの感覚で世の中の事象をとらえ、浮かんだ考えを気ままに綴っていきます。

伝説のクライマー マルコ・パンターニ②Lアームストロングとの確執

ランス・アームストロングツールドフランス7連覇というせっかくの偉業が、ドーピングが発覚して取り消し処分になり、ガッカリしたのは私だけでは無いと思います。何にガッカリしたかっていうと、私はアームストロングにガッカリしました。アームストロングといえばTREKという巨大企業のバックアップを受けて、チームでは帝王的な存在で、チームの選手は彼に絶対服従を誓わせられるというのをよく聞いていました。ドーピングについても、米国の先端技術で、絶対にドーピング検査では検出できない薬(羊の血から抽出した成分を使っていたらしい)を開発するという、企業の資金力に物を言わせて、世界最高峰の自転車レースを席巻し、自転車を売りまくろうという戦略のための手段だったわけです。この狙いは見事に当たって、TREKは日本でも大成功を収めました(だから私はTREKは買わない)。Lアームストロングは巨大企業に利用された挙句、ドーピングが発覚するやいなやゴミのように捨てられてしまったわけで、金と権力の世界に翻弄されて悲しい運命を辿った男というのが透けて見えます。癌からの奇跡の復帰というのも、そのために周到に用意された美談だったという気がしてしまいます。世界中がTREKの仕組んだ劇場型のCM大作戦に踊らされていたんでしょうね。

Lアームストロング7連覇の2005年ツールドフランス。自分の目で見て写真に収めた。

1998年にパンターニがツールを制した後の1999年以降はLアームストロングが周囲を寄せ付けない圧倒的な速さで連覇を続けました。アームストロングはペダルをあり得ないような高回転で回す走法が武器で、その速さはパンターニをも上回るのではと思われました。パンターニは2000年に再びツールに復帰しましたが、この年に山岳ステージのモンバントゥが復活し、Lアームストロングとパンターニの一騎打ちの様相を呈して、どちらが勝つか世界の注目を集めました。しかし、このゴールがパンターニとLアームストロングの間に決定的な確執を生みます。Lアームストロングは常にパンターニの先を走り続けていたのに、最後のゴールスプリントで勝負をしませんでした。そして、後でインタビューの時に「俺はパンターニに勝ちを譲ったんだ」と公言したのです。

問題のモンヴァントゥ頂上ゴール。パンターニの勝利と思いきや、その後...

よく総合優勝の圏内にいるエースが、山岳ステージでクライマーとあえて勝負をしない事があります。クライマーは敵チームのエースと先頭交代をしながら協力し、その代わりエースは引いてもらったお礼にステージ優勝を譲るという暗黙の了解があるからなのです。いわばGIVE&TAKEの関係で、総合を狙うエースはステージ優勝などは眼中にないからなのですが、これが美談とされる事があります。インデュラインは、よくそのやり方で好意的に見られていました。ところがアームストロングの場合はどうでしょうか。彼はパンターニに協力してもらうどころか、最初から最後までパンターニの前を行き、いかにも俺がパンターニを引いてやっているというように見せておきながら、最後は慈悲で勝たせてやったように振る舞って、わざとメディアの前でそう言い放ったのです。ドーピング事件で精神的に傷を負っているパンターニは、このツールでは全くの優勝圏外にあり、プライドを取り戻すためにどうしてもステージ優勝が欲しかったに違いありません。しかし彼はダブルツールを成し遂げた名誉あるチャンピオンであり、勝ちを譲ってもらうような格下のクライマーとは違うのです。この時に解説をしていた市川雅敏さんは、このアームストロングの行為に怒りを露わにして、過去のチャンピオンを侮辱する行為であり、少なくとも「譲った」などということチャンピオンは決して口には出さない、と言っていました。市川雅敏さんは長く欧州のプロレースで活躍した人で、選手の気持ちやレースのあり方をよく知っている人です。そんな市川さんだから、アームストロングがやった事は、チャンピオンとしての資質に全く欠ける行為と映ったんだと思います。

日本人初のジロデイタリア完走を果たした市川雅敏選手。

この確執はこれだけでは終わりませんでした。チャンピオンとして最大の侮辱を受けたパンターニは、次の山岳ステージでアームストロングに挑戦状を叩きつけます。彼の真横を走って中指を突き立て、俺と勝負しろと挑発したのです。アームストロング側も応じてやるとばかりに二人は勝負を始めます。その時のパンターニの速さは正に鬼気迫るもので、あの往年の速さが戻ってきたような気がして、私は目頭が熱くなりました。アームストロングはなんとか付いていったものの歯が立たず、最後はハンガーノックを起こして他の選手からも遅れ、順位を落としてしまいます。パンターニは自暴自棄とも言える無茶な走りによってリタイヤとなり、ここで彼のツールは終わってしまいました。でも私はパンターニの男気を見た気がして、胸がすく思いでした。

2000年。パンターニはチームのために献身的に働き、ガルゼッリをジロ優勝に導いた。

自分の力を誇示し、帝王のように振る舞った挙句、最後はドーピングがバレて、ツール連覇の剥奪どころか、レースからも永久追放されたLアームストロング。彼の横暴な振る舞いを快く思っていない選手は少なくなかったことは容易に想像できます。内部からの密告によってドーピングが明るみに出て、失墜したんだろうと私は思っています。彼は反面教師として長く記憶される事でしょう。