My徒然日記帳

スナップショットの感覚で世の中の事象をとらえ、浮かんだ考えを気ままに綴っていきます。

ナウシカの意味するもの

風の谷のナウシカ』は宮崎駿さんの代表作で、多くの人に評価された名作だと思います。原作は宮崎駿さん自らが描いた漫画で、映画と原作の間にはストーリーに本質的な違いがあります。私は映画の方を先に見たのですが、原作の方は少し難しい領域に入りすぎているきらいがあるので、映画の方について書こうと思います。

クシャナは原作がイチオシ:似顔絵

ナウシカの映画を観始めてすぐに感じたのは、これは少女が主人公として描かれているけれど、腐海の存在こそが本当のテーマなんじゃないかという事です。腐海の最深部にたどり着いて、その存在の深い意味に気がついた少女の驚きの瞬間がとても印象的でした。宮崎駿さんは昔から地球愛的なテーマに取り組んでいて、TVアニメの名作『未来少年コナン』も同様のエッセンスが感じられます。文明の急激な加速が地球規模の自然破壊を招き、破滅の間際で人間が自らの愚かさに気づく...。いわばSFの定番テーマの様ではあるのですが、ナウシカの違うところは汚染の実体そのものと考えていた腐海が、実は自然の浄化作用だったという点です。少女はここに神の見えざる手の存在を感じるわけです。

腐海の底で涙を流すシーン:似顔絵

生物の進化はあたかも目的を持ってる様に見えて、実は環境適応能力の差で淘汰された結果であるとするのがダーウィンの進化論です。太古の昔から生物は自然に寄り添う様にして自分の姿や形を変えて生き延びてきました。度々襲ってくる地殻変動や天変地異によって絶滅の危機に瀕するたびに強い生命力を得てきたわけです。中でも脳が異常発達した人類は、知恵を武器にして生物の頂点に立ちました。そして原始時代から神の仕業として畏れられてきた自然災害をも、技術の力で克服するまでに至りました。中世の時代には宗教的な考えが支配的でしたが、近代では科学が宗教に代わって信仰されるようになり、その結果多くの無神論者を産みました。人間は神をも恐れない存在となったわけです。

 巨神兵のスケッチ

ただし科学というのは本当に正しい方向に進んでいるのでしょうか。19世紀の産業革命以降、科学技術は急速な進歩を遂げ、人間の知能を超えるAIを産むに至りました。しかし技術は世の中を便利にした反面、その代償として何万年もかけて造られた地球資源の大部分を極めて短期間に消費してしまったのです。その過程で排出された大量の廃棄物は自然や生態系を壊し、異常気象による大規模な自然災害が多大な被害をもたらすようになりました。便利な道具だったはずの科学技術が、人間の手に負えない「巨神兵」の様になっていませんか?と宮崎駿さんは問うている気がします。間違いを犯しやすい人間にとって、自然の再生能力というのは、神の様な偉大な存在です。風の谷のナウシカはそうした啓示が込められた作品だと思います。私は東日本大震災に何も学ぶことのできない日本政府を見て、暗澹たる気持ちになります。